マインドの思念と霊のサブスタンスは互いを生成し合う

私たちの頭脳に去来するもろもろの思い、思念、映像

主は人の悪が地にはびこり、全てその心に思いはかることが、いつも悪いことばかりであるのを見られた(Genesis19:20)。

人類は善悪を自分で知る誘惑に屈し、罪により霊は死に、神から分離され、自らの魂、特に知性を肥大化して生きる者となりました。

思想、文学、芸術、料理、音楽などを生み出し、中でも現代人が誇るサイエンスは自然の成り立ちとその法則を見出し、自然をコントールする能力を獲得しました。

これらはみな自己保全と環境を快適に保ち、五感を楽しむための手段です。神による守りと喜びを忘れた人類はすべてを自作自演によるのです。

一見、何も問題ではありません。・・・しかし・・・

なぜなら、神を知りながら、神としてあがめることも感謝することもせず、かえって、むなしい思いにふけり、心が鈍く暗くなったからです(ローマ1:21)

創造者、すべての存在の源泉を忘れて、自然界を探求し、自然は素晴らしいと自然を褒め称え、自分たちのためにそれを利用すること-これが罪です。

対人関係においても、相手の存在を無視することはもっとも深く相手を傷つけるでしょう・・・。

さて、人は神の形に造られました。目的は地を治めることでした。よってその能力は神に準じるものがあるのです。

しかし神から分離された人は、神から付与されたその能力を、いわば乱用しているのです。

その能力を神ご自身がこう言われます-人が思い図ることは妨げることができない。(Genesis11:6)

事実、かつて手塚治虫の未来空想漫画で描かれていた物は、空飛ぶ自動車を除いて、ほとんど実現しています。

さて、ジーザスは言われました-情欲を抱いて女を見る者は姦淫を犯す。(Matthew5:28)

世の領域では思うだけなら何も問題ではありません。

しかし霊の領域では違います。思うこと、つまり思念は霊のサブスタンス(霊的実体)を生成するからです。

そして私たちが意志をもってその思念を語ったり、行うことにより、この五感の領域において物理的にそれが現出します。

人は、体・魂・霊の複合体です。思いは魂の領域のサブスタンスですが、同時に霊の領域にもサブスタンスを生むのです。

今、姦淫というネガティブな例を挙げましたが、これは聖霊の実(愛、平安、柔和、慈愛・・・)のようなポジティブな事柄でも同じ原則が働きます。

ジーザスは言われます-何でも願い求めるものは、すでに得ていると信じていなさい。それすればそのとおりになる(マルコ11:24原文)

「わたしは信じた。それで、わたしは語った」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っているので、わたしたちも信じ、それだからこそ語ってもいます(2コリント4:13)。

霊のサブスタンスは魂の思いとして、肉体を通して五感の領域に表出されることにより、かつての写真のように現像・焼き付けされるのです。

神ご自身も霊的サブスタンスを語り出すことにより創造のわざをなしました。(Genesis1)

人は自分の魂で考えるとおりの人間である(箴言23:7)

人は口の結ぶ実によって腹を満たし唇のもたらすものによって飽き足りる。死も生も舌の力に支配される。舌を愛する者はその実りを食らう。(箴言18:20-21)

なぜなら、神はこう約束されます-わたしは唇の実りを創造し、与えよう。(イザヤ57:19)

今、フェイスとは願うことのサブスタンス、見ていないことの立証である。(ヘブル11:1)

ゆえに、何を思いめぐらすか、どんな思念を養い育てるか-これがフェイスにとってきわめて重要です。

もはや、異邦人と同じように歩んではなりません。彼らは愚かな考えに従って歩み、知性は暗くなり、彼らの中にある無知とその心のかたくなさのために、神の命から遠く離れています。そして、無感覚になって放縦な生活をし、あらゆるふしだらな行いにふけってとどまるところを知りません(エペソ4:17-19)

虚無とは「神はいない」という思念の実体化です。そこからすべての悪が生まれるのです。今の時代が証明です。

すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、また、徳や称賛に値することがあれば、それを思いめぐらしなさい(ピリピ4:8)

思いを霊に服させるのです-肉の思いは死であるが、霊の思いはいのちと平安です(ローマ8:6)。

具体的には-キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい(コロサイ3:16)。

人はみなそれぞれの世界観と経験により生きています。が、世界の成り立ちも聖書の啓示こそが真理です。合理的な生き方も聖書が教えています。ゆえに、聖句でものを考え、また判断するのです。

私たちの魂の意識の領域から無意識の領域まで御言葉が浸透するならば、それは神の霊の浸透でもあります。

あなたは御自分の息(霊)を送って彼らを創造し、地の面を新たにされる(詩篇104:30)。

主は御言葉を遣わして彼らを癒やし・・・人の子らに驚くべき御業を成し遂げられる。(詩篇107:20-21)

御言葉には神の霊が息吹き込まれているからです(2テモテ3:16)。

私たちは霊と真理によって礼拝します(ヨハネ4:24)。

神は霊と御言葉を送りみわざをされます。

こうして天の領域のサブスタンスが地上に現出します。これこそ神の国の実現です・・・。Praise the Lord!

にほんブログ村 その他趣味ブログ BCL・ベリカードへ

2019年10月18日Dr.LukeDr.Luke

Posted by JK7ESY