十字架って何でしょう? -Dr.Luke

十字架のイメージは-苦しみ、悲しみ、困難、忍耐・・・
よくキリスト教で言われるセリフがあります・・・
病気の時、主の痛みを共にして・・・
欠乏の時、主も貧しさに耐えられた・・・
人から嘲られる時、主も嘲りを受けた・・・
だから私たちも主と同じ苦しみを味わう。これが自分の十字架を負う恵み・・・
これは宗教です・・・
またよく言われます・・・
イエスは罪人の身代わりに死なれた、だから私たちは罪を赦された。
これからは罪を犯さないで清く生きよう。
確かにそれは真理です、
が、十字架のほんの初歩に過ぎません。
しばしば清く生きようとすればするほど、それができない自分を見出すのです。
これがクルシチャンです。
聖書は言います-
信じる者はキリストと共に十字架で死んだ。また、キリストと共に復活した、と。(ローマ6:5)
あのとき、あそこで私たちも十字架刑を受けたのです。 そして復活したのです!
(二千年前にどうやって?)
神は時間と空間を超える存在、神の目には世の基が置かれる前に十字架があったのです!(黙示録13:8)
霊が死んで神から独立して生きてきた古い私、それはアダム系列の私。
神は古い私を改善したり、改良する方法をとられませんでした。
それを抹殺したのです!
えっ? だって自我に死のうとするとますます自我が生きてしまうのです・・・
とクルシチャンは訴えます。
それはトリックです!
キリスト教の牧師の説教で何度聞かされたことでしょう・・・
自己を否み、自我を十字架につけて!
彼らは五感のマトリックスに騙されています・・・
自分は死んだと言われても・・・
自分は感じるし、自分は考えるし、自分は自分の意志があるし・・・
真理は五感で確認されるものではありません!
それはただ信じる、つまりフェイスの問題です。
今、フェイスとは願うことのサブスタンス、見えない事柄の立証である。(ヘブル11:1)
神の要求を満たせない私は終わったのです。死んだ者は律法の要求から解かれます。
律法は聖であり、私たちにその義を要求する過酷な夫でした。その夫から自由になるのは死ぬこと。それを神はなしてくださったのです。(ローマ7:1-6)
死んだ者は罪と死の法則から解かれます。
そして復活した者はいのちの御霊の法則によって罪に勝利します(ローマ8:2)。
神は自然界に物理や化学の法則を定め、霊的世界も法則によって支配されます。
自然の法則より霊の法則の方が上にあるのです。
フェイスは神が十字架で完成された事、つまり霊的サブスタンスをこの五感の領域において実体化します。
経験したから信じるのではなく、信じるならば経験できるのです。
すでに古いアダム系の私は死にました。
死んだ者はもがきません。
私たちの過去・現在・未来の個々の罪はすべてイエスの血によってきよめられ、取り除かれました。
神はそれらを思い出さないとすら言われるのです! (イザヤ43:25)
すべての病もジーザスの血によって癒やされました。
これから癒やされるのではありません。 すでに癒やされているのです。 (イザヤ53:5)
すべての必要も満たされました。
これから満たされるのではありません。富んでいたキリストは私たちを富ますために、ご自分は貧しくなられました。(2コリント8:9)
主イエスは、ご自分の持つ神の力によって命と信心とにかかわるすべてのものを、わたしたちに与えてくださいました。
それは、わたしたちをご自身の栄光と力ある業とで召し出してくださった方を認識させることによるのです。(2ペテロ1:3)
そして何よりも、私たちはキリストのうちにおかれ、その復活により、主と共に復活しました。
ジーザスは私たちに復活のいのちの息吹を吹き込まれ、私たちを新しい創造、ニュークリーチャーとしてくださったのです!
フェイスによりキリストと一体化され、キリストの神の種(DNA)をインフージョンされた新しい人類です。
これらが十字架で完成された霊的サブスタンス!
永遠の真理!
五感に基づく宗教マトリックスから解放されましょう。
宗教マインドから自由になりましょう。
なぜなら・・・ジーザスは宣言されました!
IT IS FINISHED!
すべて完成した!
(ヨハネ19:30)
信じる者は安息に入る (ヘブル4:3)
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません