わたしがあなたがたの神となる

聖書の神は厳しい御方です。
神は十戒などの戒めを人に与え、それを守り行わないと厳しく裁かれる。そう聞くと私たちは、聖書の神は血も涙もない冷酷な御方、とイメージします。本当に神はすぐに怒り、人を裁くような冷酷な御方なのでしょうか。
今日は旧約聖書のレビ記26章から、そのことを確かめたいと思います。
レビ記の26章1節で、神はこのように命じられました。
「あなたがたは自分のために、偶像をつくってはならない。」そしてその次に、「私の命令を守るなら、わたしはあなたに祝福を与える」と約束しておられます。
神は三つの祝福を与えると約束されました。
それは豊かな作物、住む土地の平和、そしてこどもをたくさん与えるという約束です。それで人はそこに、やすらかに豊かに住むことができるのです。
そして更に約束されたのは、神と人との良い関係でした。
わたしはあなたがたの神となり、あなたがたは私の民となるので、私はあなたがたを嫌って退けたりはしない。
そして神は命令をまもらないならばどうするか、非常に長く語っています。
命令を守らなかった場合、作物の不作、病気や敵の略奪などでこらしめると語られます。それでも命令を守らないなら、また懲らしめると語られています。
このように命令を守らないなら、懲らしめるということが、5回も続くのです。そして、5回目の懲らしめのあと、懲らしめられた彼らが自分の罪を告白し、私にへりくだるなら、私はあなたとの約束を思い出すと言われているのです。
つまり神は、言うことを聞かない人々を悔い改めに導くために懲らしめるのです。そして、人を改心へと導き、祝福を与えようとされているのです。
旧約聖書のイザヤ書9章7節は、このようになんとか人を救おうとされる神の救いのことをこのように語っています。
今よりとこしえまで、万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。
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